友子さんはひたすら、軽井沢に向けてバイクを疾走させます。
バイクに乗るのは久しぶりです。5月の、体を突き抜ける風がとても心地良い。
友子さんは、途中、秩父のキャンプ場に一泊し、疲れた体をしばし休めます。
夕方、十津川警部シリーズを読みながら、二人の男は忽然とどこに消えたのかと思いあぐねます。
翌日、勝夫くんと戸坂課長の失踪の動悸がどうにもまったくわからん、と釈然としないまま友子さんはバイクに跨り、再び軽井沢を目指します。
明日の朝は、もう軽井沢だわ。軽井沢に着いたら、たこ焼き屋と温泉場をくまなく回ろうかしら。たぶん、そんなとこだわ。
そんなことを考えていた時、ふと、浅間山の朝焼けが見てみたい・・・そんな思いに友子さんはかられます。友人の美奈さんから聞いた話を思い出したのです。
中学時代、友子さんはおとなしい性格で同級生からいじめられることがよくありました。そんな時に、いつもかばってくれたのが美奈さんでした。
友子さんはヤンキーだったのか
美奈さんは男まさりの姉御肌で、高校に進学するとバイクを乗り回し、チームをまとめるようになっていました。
友子さんはチームに入ることはありませんでしたが、美奈さんに憧れてバイクの免許を取り、美奈さんと一緒に遠出することがありました。
もうかれこれ5年ほど前のことです。
当時、大学生だった友子さんは美奈さんに連れられ、バイクのモトクロスの観戦に行きました。
その時、見事なアクロバティックな演技を披露する一人のライダーに美奈さんは一目惚れしました。
そのライダーは将也くんといって、美奈さんと同い年でした。将也くんはふだんはバイクショップに務めていて、モトクロスの大会には何度も出場していました。
当時の二人のことを思い出すと、友子さんは自然と涙が溢れてきます。
美奈さんと将也くんが知り合って1年ほど経った頃のことです。
将也くんはオーストラリアでのモトクロスの大会に出場し、そこで半死半生の大怪我をします。
日本に戻ってきた将也くんをみて美奈さんは愕然とします。松葉杖で負傷した右足をかばうように、うなだれた姿でゲートから将也くんが出てきたのです。
将也くんはもうバイクには乗れない体になったと自暴自棄になり毎日酒を浴びるように飲むようになります。
ギャンブルにうつつをぬかし、そのうち鬱も忍び寄るようになりました。
そしてある日、とうとう将也くんは自殺を図ったのです。一命はとりとめたのですが、病院で将也くんは廃人のようになっていました。
もう死期も間近いかも知れない。美奈さんは悲しみに暮れました。
そんなある日、将也くんが小さくつぶやいたのです。あの時は楽しかったね・・。二人で行ったツーリング、あの時みた浅間山の朝焼けはとてもキレイだった、もう一度見てみたい・・・。将也くんがそういうのです。
そうね、また見たいね、だから早く元気になって、一緒にまたツーリングしようね。そういって美奈さんは将也くんを励まします。
しかし、美奈さんは、看護婦さんから将也くんはもう余命幾ばくもないことを聞かされていました。
もうバイクには乗れない、二人で朝焼けを見に行くなんてとても無理。喉まで出かかったのですが、将也くんの笑顔の前にもちろんそんな言葉が出るはずもありません。
が、美奈さんは将也くんの想いになんとか応えたいと思いました。
そしてとうとう決行したのです。深夜、病院から将也くんを連れ出し、バイクの後方に乗せます。そして、二人でツーリングした軽井沢へ向けてバイクを飛ばします。
将也、しっかりつかまってるのよ。もうすぐだから。朝もやの空気がとても澄んで、気持ちのいい風が流れていました。
将也、しっかりするのよ、もうすぐ、もうすぐだからね。
何度も、美奈さんはそういって声をかけます。しかし、将也くんはほとんど意識がなく、何の反応もありません。
そして、遠くに浅間山が見えてきました。淡いレッドピンクに紫のインクを薄く伸ばしたような朝焼けの空。その空を背に浅間山がくっきりと浮かんでいました。
浅間山にバイクが近づくほどに身体ごと朝焼けに染まりそうです。
その時です。キレイだね、とっても・・。背後からそう将也くんがつぶやいたような気がしました。
美奈さんには、確かに、それが将也くんの声だと分かりました。
しかし、それっきり将也くんは何もいうことはありませんでした。将也くんは、とても穏やかな、少し微笑んだような顔をしていました。
これが友子さんが美奈さんから聞いた話です。
あれから5年が経ちます。
今、友子さんの眼前に広がっているのは、あの時に将也くんと美奈さんが一緒に見たにちがいない、浅間山のみごとな朝焼けです。
二人がもう二度と見ることはないであろう風景がそこに広がっていました。